今年は会社でバレンタインのチョコをもらえませんでした。
私は「女性から見向きもされない哀れな中年男」であり、別の視点から見ると「ホワイトデーにお返しをしなくて済んだラッキーな男」でもあります。
「禍福は糾える縄の如し」とはよく言ったもので、バレンタインにチョコをもらえなかった事実1つをとっても、良い視点もあれば悪い視点もあります。
であれば、チョコをもらえなかったことに大きく心を揺さぶられるのではなく、平常心でいることが真理なのかなと思います。
では、発達障害であることはどうでしょうか?
「発達障害に生まれ、生きづらさを抱えた哀れな男」でもあり、「発達障害の苦しみを知る、人の痛みのわかる男」でもあります。
事実は1つでもとらえかた1つで幸にも不幸にもなるのです。
私は残りの人生を「自分の特性を呪いながら」生きたくはありません。
できるだけ前向きに生きたい。
定型発達の人に比べるとできることは少ないのかもしれない。
でも自分の手持ちの能力でもできることはあります。
できないことを嘆くのではなく、自分のできる事をポジティブにとらえたいと思います。