私は以前「働かないアリに意義がある」という本を読んだことがあります。
エサを見つけた蟻はフェロモンを出しエサまでのルートを仲間に伝えます。
大半の蟻はフェロモンを完全にたどってエサの場所まで行くのですが、中にはフェロモンをたどれず間違えてしまうアリがいるそうです。
ただこの「間違えるアリ」は迷っているうちにエサまでの近道を発見することがあります。
間違えるアリのいる集団といない集団をそれぞれコンピューターでシミュレーションすると、間違えるアリのいる集団の方がエサを巣に持ち帰る効率が高くなるそうです。
素直に考えると「間違えるアリ」などいない規律正しく動くアリだけの方が効率が良さそうですが、違った結果になるんですね。
私は発達障害について勉強している時に、この「間違えるアリ」のエピソードを思い出しました。
「間違えるアリ」が発達障害と重なって見えたのです。
「発達障害はなぜ生まれてくるのだろう?」そう考えたときに、何か意味があって生まれてくるのだと思いました。
必要のない存在であれば、淘汰されて自然にいなくなるはずなのにずっと存在し続ける。
それはこの「間違えるアリ」のように、通常と違う動きをするからこそ、時に今までの常識を変えるような結果を出すことがあったからだと思います。
「通常と違う動きをする個体を生み出す」というシステムがその種が発展する上で必要なものであり、自然に組み込まれているものであれば、「発達障害」は異質なものでもなんでもなく、当たり前に存在するものなのだと考えます。
現在はダイバーシティの考えが少しずつ根付いて来ました。
「発達障害」が障害ではなく、普通に受け入れられる日がくるといいなと思います。
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